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継承されるDNA
ENEOSグループについて

継承されるDNA
Inherited DNA

1890年代頃、最盛期の尼瀬油田
1890年代頃、最盛期の尼瀬油田

連綿と受け継がれる創業者の志

ENEOSグループの主要な事業会社として石油開発事業を担う当社の源流は、内藤久寛(1859〜1945)と久原房之助(1869〜1965)というふたりの人物によって切り拓かれました。

初代社長
初代社長 内藤久寛

越後国刈羽郡石地(現在の新潟県柏崎市)の没落商家に生まれた内藤久寛は、28歳のときに有限責任日本石油會社(日本石油株式会社)を設立、直後に地元尼瀬の海岸において、世界で初めて海底油田の掘削に成功しました。「海の上で井戸を掘っても失敗するに決まっている」という大方の見方を、鮮やかに覆したと言われています。
その後、陸上の西山油田では、現在でも広く用いられているロータリー掘削機械を本格的に導入して、国産原油の飛躍的増産につなげました。今から百年以上前の出来事です。

久原
久原房之助

一方、久原房之助が1905年に赤沢銅山(現在の茨城県日立市。のちに日立鉱山に改称)を買収して生まれた日本鉱業は、太平洋戦争前の十五大財閥のひとつであった、日産コンツェルンの前身としても知られています。久原房之助は石油開発にも熱心に取り組み、国内外で探鉱事業を繰り広げました。日本鉱業が苦難の末に、秋田県の雄物川流域において、現在の八橋油田となる日本最大の油田開発に成功をおさめたのは1935年のことでした。

ふたりに共通するのは、リスクを恐れない起業精神、
先進技術の導入、そして従業員を大切にする心、環境重視の姿勢です。

1905年当時の日立鉱山
1905年当時の日立鉱山

草創期の日本鉱業では、鉱山業が山間地で営まれるという環境のもと、物資の供給所、医療施設、子どものための学校も建設して、社員の生活や教育に不足が生じないように努めました。また1914年には、操業による煙害で周辺が荒地になった日立鉱山に、当時世界一の高さを誇った巨大な煙突(約155 m)を建設して、煙を拡散することに成功、間もなく緑地に回復した事績は、映画化もされて広く知られています。

また日本石油の内藤久寛は、現在のような探鉱技術が確立される遥か前の1925年、秋田鉱山専門学校(現在の秋田大学)で行った講演において、次のように語りました。

日本の既存の油田は、すべて露頭の油徴や、漏えいする天然ガスを頼りに掘削して発見したもの。これからは現在の米国で行われているように、 層位学を応用して地質調査を行い、岩心(コア)を取って分析し、背斜軸の位置を推定して断面図を作り、試掘井の位置を選定するなど、科学的な試掘作業を行わなければならない。

私たちJX石油開発は、これら先人の志を忘れることなく、リスクを恐れない企業精神、先端技術を積極に取り入れる先進性、ビジネスに関係するすべての人を大切に想う環境重視の姿勢を受け継ぐべきDNAとして継承し、これからも国内外の石油・天然ガス開発事業を推進していきます。